幽体離脱体験日記

14  守護霊と憑依霊

2004年2月7日の日記

免疫システムの構築
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私の守護霊というイメージ

わたしは、守護霊といえば大変おごそかな雰囲気で現れ、

そうだな、衣装なんかは古代ギリシアのスタイルかなんかで

頭には、冠をかぶり、腕には金の腕輪、あるいは、和風なら

平安時代の公家の格好とか、期待してたんだが、これは

見事なまでに、裏切られた。

私が想像した守護霊とはあまりにもイメージがかけ離れていたのだ。

その時の私はかなり、拍子抜けしてしまった。





2002年12月6日の幽体離脱
守護霊との出会い

頭の上のほうに、何者かの気配を感じ、トランスを起こした。

5回以上体がブンブンうなるトランスになったが、離脱できない。

何回もトランスを起こすのは、訪ねてきた霊のエネルギーパワーが

極めて強力だからだ。にもかかわらず、離脱しないのは、やはり

20日前後、新月の晩でないと、私の体調が、幽体離脱を起こす

体制を整えてないからだろう。

6回目にようやく離脱したが、右目だけ、良く見えない。

極めて、霊視が不安定だ。これは、明らかに離脱の失敗を意味する。

その3回位後のトランスで完全に離脱に成功した。

まだ、今日は6日だ、何者かが霊子ドームに侵入したはずだ。

しかも、その霊のパワーは異常なまでに強く、ただものではないはずだ。

霊視が、安定してきた。すると、私のソファーに誰かが座っていた。

いつもながら、我々、生きている人間と寸分変わらない。

彼は、歳は30代くらい、私よりは、若く見えた。そして、ごく普通の

ビジネススーツにめがねを掛けていた。

この人は守護霊だ。

私は直感的にそう感じた。以前にも霊界では、ある程度相手の心が

読めてしまう、そういってきた。彼に私が感じた絶大なる信頼感、

この信頼感が、自分の家族以上に強いのです。彼も私を大切に

思っている。言葉を交わさずともお互いの心が通い合うのです。

しかし、彼のあまりの普通すぎる格好、かなり失望した。

まてよ、彼をどこかで見たことあるぞ。思い出した。

以前、霊界からの招待、エピソード1に登場した、タキシードに

蝶ネクタイ姿の男だったのです。彼が、守護霊だったのか。

今頃気が付いた次第です。そして彼は私に向かい、

「君は成長した」 と一言だけ、くちに出したのです。彼との会話は

たった、これだけです。

不思議なことに自分の体がいつもの2倍位に膨らんでいて、

なぜか裸でした。全身が水のような液体で、濡れていたのです。

霊も脱皮するんだろうか?それに彼の成長したとは、いったい

何を意味するのだろうか?



潜在意識の世界へ

いつのまにか、守護霊は霊子ドームの中から姿を消していた。

私はバルコニーに出た。以前説明した通り、玄関側は、別次元宇宙に

繋がり、このバルコニーは、自分の心、すなわち、潜在意識側へ

繋がるのだ。バルコニーからジャンプして、空を飛んだ。

私は、初めて潜在意識の領域に踏み込んだのです。

上空から、森を眺めていた。しまった、エネルギーが

切れかかっている。再び霊視が不安定になってきたのだ。

森の木が、トランプのクローバーの形に、見え抽象画を見ている

ようだ。ここで、霊は意識を失った。




守護霊の激務

守護霊は、当然霊界側の住人です。しかし、時々私の霊子ドーム

をおとずれては、何かと世話をしてくれるのです。

彼らの最大の任務は、人間の霊子ドーム内の監視です。

異常が無いか時々メンテナンスに訪れるのですが、すべて、

ボランティアなのです。そして、彼らが最も苦労すると思うことは

私たちの住む宇宙に対して、彼らには理解が難しいのです。

例えば、なぜ、ヨシユキは金を欲しがるのか。こんな基本的な

ことさえ、良く理解できてないのです。

なぜなら、霊界の経済は、貨幣経済ではないのです。

霊界にも、喫茶店のような場所があり私はそこで、コーヒーを

飲んだことがあるのですが、金は払いませんでした。

霊界の経済システムは、我々の電子マネーと同じようなシステムと

なっているのです。すなわち、私がコーヒーを飲んだ

という事実は、霊体の脳に記憶され、その感謝の気持ちを

労働なり、その他の対価として支払う必要があるのです。

これが、可能なのは、彼らの脳の記憶容量が人間の数倍大きく

なおかつ、霊界では相手の気持ちがある程度読めるので

うそをつくことが、ほとんど困難だからです。

私たちの宇宙では、うそをついても、ほとんどばれません。

だから、金という証拠の品が必要となるのです。

これらのことを、守護霊も理屈としては理解しているはずです。

しかし、何回も話したように守護霊といえども、自分が霊界に

来てからの記憶しか持っておらず、だいたい、彼が地球上で

生活したことがあるかどうかも、確認の手段を持たないのです

ただし、我々と違うのは、彼らの科学力が大変すぐれており

別次元宇宙に対する知識が豊富なことです。

しかし、知識は持っていても経験に裏づけされてないため、

どうしても、誤解が生まれるのです。

我々もこの地球上での生活経験から、金を欲しがるように

なるわけで、物心ついたばかりの、子供が、定期預金の

通帳を大切に持ち歩いていたら、ちっともかわいくありません。

子供の夢は将来電車の運転手になりたいとか、本来人間として

純粋に持つ気持ちだけなのです。

ヨッシーも含め、大人たちは、いつごろから金が全てであると

思うような情けない人間になってしまったのでしょうか。





守護霊と憑依霊
霊子ドームの免疫システム

私が幽体離脱を起こし、霊子ドームのドアを開けて、霊界に

出かけるというシステムにつき、以前詳しく説明しました。

しかし、このドアの開け閉めが大変な危険を伴う行為なのです。

私がドアから霊界側に出る一瞬の隙をつかれ、万一悪霊が、

霊子ドーム内に侵入すれば、たちまち私の肉体は悪霊に乗っ取られる

危険があるのです。

守護霊も、24時間私の霊子ドームを監視することが、出来ないのです。

私が霊界に出るとき、部屋の中を振り返ると、見たことの無い男が

いることがあります。おまえ、誰だ?私が聞くとこれらの憑依霊は

皆、苦しい言い訳をします。ただ、私には彼らに悪意を感じないので

まあ、いいか。あまり気にせず霊界に出て行きます。

以前は、このことが、理解できませんでした。守護霊もこれらの

憑依霊の侵入を黙認しているわけで、納得できなかったのです。

しかし、最近ようやく理由が分かったのです。

このような、憑依霊つまり霊界のホームレスをあらかじめ、

霊子ドームの中へ取り込んでおくことにより、もっと、有害な

悪霊などの侵入を防いでいるのだと。つまりは霊子ドーム内の

免疫システムなのです。

私がドアを開け閉めするとき、悪霊が侵入しようとすると、これらの

憑依霊が、必死で侵入を阻止するのです。

なぜなら、私の肉体を凶悪な悪霊に乗っ取られると、憑依霊は

自分の住家を、失うか悪霊の奴隷にされてしまうからです。

憑依霊も生きるために必死で、悪霊と戦うのです。

それと、彼らには私の部屋に居候しているという、負い目があり、

何かと私に気を使ってくれるのです。

ただし、彼ら憑依霊はずっと、一箇所には留まりません。

すぐにまた、旅に出てしまうのです。しかししばらくするとまた

別の憑依霊が居候にやってきます。まるで、守護霊が意図的に

憑依霊の種類を選んで、霊子ドームを守るワクチンのように

使っているようにも見えます。

幽霊と憑依霊の違い

ただし、私がここでいう憑依霊とは、いわゆる幽霊の類とは

違うのです。後日詳しく説明しますが、私たちの宇宙の

コピー宇宙である、冥界というのがあり、死者は、しばらくの間

この冥界に留まるのですが、幽霊の定義は、本来、短期間しか

留まれないはずの霊が、自分の記憶にしがみつき、その記憶を

捨てることが出来ず、いつまでも、冥界に留まるという

イレギュラーな霊なのです。人はこの冥界まで、生前の記憶を

持ち、本格的に霊界入りする時その記憶をすべて失うのです。

逆に言えば幽霊は記憶を消去できない病気の霊だということです。

私の霊子ドームの中に幽霊が侵入するケースも多いのですが、

幽霊は憑依霊以上に無害です。なぜなら、冥界よりも、

霊子ドーム内の時間進行が遅いため、幽霊は、霊子ドーム内の

備品に触ることすらできないのです。つまり冥界との時間進行

変化に全く適応できてないということなのです。

それに対し憑依霊は、れっきとした、霊界の住人なのです。

ただ、彼らが何の目的で旅をしているのか、理由は分かりません。





本来無菌状態の霊子ドーム

人類の全てが、この霊とそれを貼り付ける機材の霊子ドームを持つと

以前説明したのですが、本来の霊子ドームは、無菌状態なのです。

自分の霊と守護霊しか、立ち入ることができない構造に

なっているからです。しかし、幽体離脱体験者は、必ず、憑依霊を

取り込んだ状態、つまりは免疫システムを構築しているはずです。

エクソシストなどの映画は実話に基づくストーリーで、つくり話では

ありません。事実、バチカンには、悪魔払いつまり、エクソシストの

資格を持つ神父さんが、100人近くいるそうです。

エクソシストとは、追い出すという意味です。誰かが医者に

悪魔に取り付かれたと訴えても、医者は間違いなく二重人格

と診断することでしょうが。

どちらにしても、幽体離脱が安全な行為ではないということだけは、

ここで強調しておきたいと思います。




死後世界の存在の議論

私は、はっきり申し上げて、人間死んだら全て終わり。

そう信じて生きる人のほうが幸せな人生を送れると考えてます。

そのように考えるのが自然なのです。

私もそのような人たちを見習い、せいいっぱい生きよう。

いつも、そう思っています。人間が生きて行くうえで、死後の世界の

有る無しは、関係がないと。私は死後の世界を、肯定しますが

神がそれを隠している理由を理解すればこそ、死後の世界を否定

する人の気持ちがわかるのです。

皆、この世限りの短い命、そのつもりで生きようではありませんか

また日記を書きます。それでは、来週またお会いしましょう。

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