幽体離脱体験日記

15  夢は物質である

2004年2月14日の日記

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はじめに

掲示板 幽体離脱体験日記を、ご覧いただければ、分かるでしょうが、

私の話を見て、すでに発狂寸前の方が、いらっしゃるようです。

しかし、ここから先の話、聞いているだけで、本当に発狂する人が

出る危険があります。意識が混濁し死んでしまうかもしれません。

今まで、私が話してきた内容は、ここから先の本題に移る前の、

単なるウオーミングアップにすぎないのです。

ここから、さらに話が奇想天外、奇妙奇天烈となるわけで、

自信のない方には絶対お勧めできないので、最初から、宣言しておく

ことにいたしました。


ドーナツの穴は存在するか?

私たちは、時々おかしな議論をしてしまいます。

そして、議論は本質からはずれ、どんどんおかしな方向へと、

発展するのです。

ドーナツには、穴が有ります。でも、食べてしまうと、穴も無くなります。

これを見て、元々、ドーナツには穴など、存在しなかったのだと主張する

人が必ずでてくるのです。

宇宙は、物質と空間から構成されます。もちろん、空間は、物質の

存在ぬきには、成立しません。少し変わった意見だと、空間が物質を

成立させるのだという人もでてくるはずです。

ここで、この議論に巻き込まれる前に、空間だけの宇宙や、

物質だけの宇宙が成立しないという大前提を、崩してはならない。

との取り決めをしておくべきです。ここでも、色即是空の原則、

すなわち物質も空間も、宇宙を構成する、単なる要素でしかなく、

相互依存性の性質だということです。

さもないと、全てが物質によるものだとか、いや、空間が全てだとか

最後には元々どちらも、存在しないなどの意見が飛び出すからです。

意識は存在しない、という人もいるそうですが、この意見、意識が

単独では成立しない。といっているのです。その意味で意識は

存在するか?と聞かれれば私も存在しないと答えるしかありません。

明らかに説明不足です。



希望的観測による霊界論
過去の議論の誤り

過去,先人たちは、死後の世界の肯定派、否定派に分かれ、

何千年もの論争を繰り返してきました。しかし、いまだに誰も

結論を出せずにいるのです。いや、この件についてのみ、結論は

出せないと思い込んでいる人が多いのです。

なぜ、こんなことになったのでしょう?

肯定派の意見

意識が脳を支配するのであり、意識は単独でも成立する。

否定派の意見

脳が、意識を作り出すのであり、肉体の死が、意識の消滅

に結びつく。

この議論、否定派の勝ちです。私は断言します。

肯定派は、意識が単独で存在できるとの、間違えた見解を提示

するという、ミスを犯したのです。そして、その結果として、

意識だけからなる、あの世という奇妙な存在を作り出して、それを

誰も説明できなくなり、理論で説明できないので、おれが信じる

だから、おまえも信じろと、乱暴でわけの分からぬことを、

勝手にいいだすのです。

過去の霊界観

意識だけで、成立する宇宙、そこはどんな場所でしょう。

そこには、物質的存在は何も無く、もちろん重力などあるはずがなく、

痛みも悩みも苦しみも無く、もちろん、一番いやな、死など、ありえません。

そこで、皆が仲良く、永遠に生きるのです。

これ、本当の話ですか?もし本当なら、私も一度は死んでみたい。

さらに、不思議なのは、宇宙はこの世とあの世の2種類に分かれ、

あの世については、物理の法則の適用を免除してしまったのです。

気持ちは分かるんです。誰でも死んだ後まで、苦労するのは

御免こうむりたいでしょうから。

しかし、このような世界をだれにどのように説明すればよいのでしょう?

そこには、希望的観測が、見え隠れしています。

しかし、私はそんな夢をすべて打ち砕いてしまいました。

本当の恐ろしさは、死んで意識が、無くなることではなく、

永久に意識が存続するという事実の方なのです。



E=MC二乗 の意味するものは

私が、意識と肉体の関係に付き説明した時、今は、E=MC二乗につき、

考慮してません。とおことわり申し上げたのは、最初から、

エネルギーの物質化現象を、説明すると、意識が表現体を持たぬ

単独でも成立可能である、と私が説明してるのだと、誤解される

おそれがあったからです。

もう一度念を押しておきます。意識が表現体を持たずに単独で

存在することなど、絶対にありえないと。いいかえれば、意識が

他に、表現する機能をもたずに、単独で存在したとしても

それを、観測する人が一人もいなければ、観測者が一人もいない

存在は、非存在であると見なされてしまうからです。

Eは、エネルギーです。Mは質量で、Cは光の速度です。

1グラムの物質をエネルギーに変えると、その質量に光の速度の

二乗を掛けた莫大なエネルギーになるというのです。

事実、原爆に使用された、ウランは、1キログラムで、

その内、実際に核分裂して、エネルギーに変換されたのは、ただの

1グラム分だそうです。逆を言えば、それだけ莫大なエネルギーから

たった1グラムしか、物質が生成されないということになります。

しかし、この世界で一番有名な方程式、物質とエネルギーが

元から同じものであったという意味なのです。

何千年も前の人たちはなぜ、このことを知っていたんでしょう。

般若心経には、色不意空、しかも不増不減とまで、書いてあります。

これは、エネルギー保存の法則なのでしょうか。

もちろん、偶然の一致かもしれませんが、アインシュタイン博士も

これでは、かたなしです。

実は、この方程式ずっと私を悩ませ続けるのです。

もし、物質とは、エネルギーが一時的に集中した仮の姿であるなら、

私たちの宇宙そのものが、神の意識が見ている幻覚のように

見えてしまうのです。

それゆえに、現実と幻覚や、夢をどこかで、線引きして区分けを

することは、困難と考えるにいたりました。

つまり、物質は全て神の意識がイメージして、エネルギーを、物質に

変えている、と判断すれば、私たちは神がみている幻覚の中にのみ

存在している、と考えても何ら差し支え無いと思うのです。

しかし、逆の見方をすれば、神が作り出すものだからこそ

現実だとの見方も成立するはずで、人はこれをどちらかに

決めようと努力する傾向があるのです。

このような、話をすると、必ず宇宙は意識だけでも成立すると、

極論する人が出てくるはずで、それで、冒頭の物質と空間の

話を持ち出したのです。

それと、この方程式、わたしの話の矛盾点を、鋭く指摘するのです。

以前物質の定義で、質量がマイナスでも形さえ持てば物質と

説明したはずで、誰かが、この話題を持ち出すと期待したんですが、

予想は裏切られました。

もし、この方程式にマイナスの質量をあてはめると

マイナスのエネルギーが存在することになります。

ここから先は物理の専門家に聞いてみてください。

おそらくは、質量がマイナスの物質の存在につき、否定は、

しないと思うのですが?

夢は物質である

過去の医学者や、科学者たちは、人間がなぜ夢をみるのか?

こんな、初歩的なことに答えをだせないでいます。

もちろん、夢が物質だ、などと、こんな酔っ払いのおやじが言えば

間違いなく狂人扱いされるでしょう。

今まで、私が述べてきた、霊が相手に、イメージを見せることに付き

何度も、説明したのにこんな、奇妙な話に何の反論も質問も

まるで出てこないのです。私はずっと不思議に思ってました。

以前、物質の定義のところで物質とは、形を持てば、それだけで

物質と呼べる。そう強調いたしました。

世間の人が普通言うところの、質量を、もつ必要など、全く無いと。

普通に私たちがみる夢、もちろん、内容が、姿、形を、もつもの

だとしても、おそらく、質量は、ゼロと推測されます。

しかし、私はこの夢こそが、人間の意識が、エネルギーを物質に

変換する力を持つ、動かぬ証拠であると考えているのです。

言い換えれば、人間も神や、霊が持つのと、

同じ力を持つという、動かぬ証拠だと思うのです。

医者は夢を、脳の働きであるとの立場から、錯覚あるいは、

記憶の整理機能の一部であると説明します。

しかし、なぜ、そこに実際の画像が見えるのかについて、

納得のいく説明をしてもらいたいのです。

もし、私たちの記憶に画像が添付されているのなら、なぜ

記憶を思い出したとき、実際の画像まで、見れないのでしょうか?

現実と幻覚


私は夢までも物質というのだから、普通に考えて、個人的体験は

すべて、現実なのか?との反論がでるはずです。

たとえば、霊が他人に見せるイメージは、客観的立場でも

確認できるわけで、ここまで来れば現実と判断してもよいのでは

との意見の反面、あくまで、意識がイメージとして作り出す

のだから、幻覚である、と判断することもできます。

医学的見地からは、すべて、脳の働きつまりは、すべてを

幻覚や夢と判断されるはずで、しかし、私の人生も脳の働きによる

幻覚かと聞くと、医師は、それだけが現実であると答えるわけで。

じつに奇妙です。私の幽体離脱体験では、相手の手触りや、

実在感、体温まで感じるわけで、それを幻覚というのなら、

私の人生の中で登場した人物すべて、幻覚ではないと

誰も証明してくれないのです。

私は、視力が両眼で0.3しかないのに、幽体離脱中だけ、

視力が3.0位にアップして、普段以上に意識や、色の識別感覚が

鋭くなるのです。個人的立場からは、幽体離脱体験が現実で、

私の人生のほうが幻覚のように思えるのです。

そこでこのように考えたのです。意識の側から、見た現実は、

脳の側から見ると、幻覚と判断されるのだと。

ゆえに、一般論で幻覚と現実を区分けするという試みは

無駄であると、そうしないと、この宇宙の全てが、上記のごとく

神の見ている幻覚だという意見がますます、正当化されてしまいます。

過去の議論では、肉体がメインで意識がサブ。または

意識がメインで肉体がサブ、この2者択一となるわけで、

私はこの両方が正しいと主張しているわけで、肉体と意識この

2つの要素で人間がなりたち、片方だけからの見方をすると、

奇妙な意見の食い違いがでるのです。

色不意空 空不異色 色即是空 空即是色

色と空は対等であると主張しています。

死後世界の証明法

私はこのことにつき、ずっと試行錯誤を繰り返してきました。

友人と申し合わせて、私の幽体離脱中に、彼の霊子ドームの中に

侵入するとの、試みをしたことがあります。

今考えると、私のこんなばかげた、実験に真面目な顔して

付き合ってくれたのだから、彼は立派です。

この作戦みごとなまでに、失敗いたしました。

私の日記を読んで貰えれば、理由はお分かりですよね。

一時は、神が宇宙を構成するにあたり、絶対に死後の世界が

見えないよう配慮しているとも考えたのですが、何か方法が

あるはずです。でなければ、ある程度ヒントをちょこちょこと

出している意味がないはずですから。

たとえば、良く聞く、生まれ変わりの話など、この件は、かなりの

誤解があると思うので、このテーマだけで、一度話をする

つもりでおります。「輪廻転生論の一部の誤解について」。

夢や、幻覚なども、日常普通にでてくる、神さまからの

ヒントだと考えております。


幽体離脱法の公開について

最終的に、これしかないだろうと、結論を出しました。

つまり、幽体離脱の体験者は、皆、現実の体験であると主張し、

経験のない人はほとんどが、幻覚として片付けようとします。

人生において経験するということは、大変貴重なことで、

経験のないことに、理解をしてくれという方が無理というものです。

しかし問題もあります。危険な行為かどうかという

一番重要な問題です。医師はおそらく、自力で幻覚を見る方法

と解釈するでしょうから、本当にそうならば何の問題もないはずです。

最初は少ない人数でも、自分でメールや電話で指導するつもりでした。

しかし、今の私には、時間的にも金銭的にもそんな

ゆとりはないのです。タイミングをとらえて、このホームページにて

発表いたしますので、全て自己責任で試してほしいのです。

その前に、これから、私が報告する予定の幽体離脱体験を

見ていただき、わたしと同じ失敗をしないでもらいたいのです。

私には、確信があります、数多く参加者が集まれば必ず

何人かは体験できると。恐怖を感じるのは、最初だけです。

あとは、楽しめるようになります。

ただ、私がそうであるように、人により、離脱注意日のような

ものがあると思います。給料日前はだめだとか。

隣に誰か寝ていてもできるかなど、未確認の部分も

多くあります。

<私は自営業なので、給料日はありません。毎月20日前後に

お金がなくなり、幽体離脱するわけではありません。

念のため>


次回の予定

来週土曜の夕方までに、天国と地獄の題で日記を更新します。

はいさい哲郎さまにお約束した、禅定とランナーズハイは、次回に

ゆっくりと説明します。私は両方経験し、どちらも同じ体験と

考えております。不思議なことに肉体を極限まで使う状態と

それを、極限まで使わない状態とが、同じ結果をもたらし、ここに

宇宙の秘密を解く鍵が見えるのです。

おやじは、少し疲れました。また日記を書きます。

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